自然のかたち

僕の出身校である芸術工学部の教授、森島先生が今月(2009年3月)で定年退職される。先週は、芸工キャンパスのM101教室で最終講義をされた。森島先生は、特に大学院での講義や留学時にお世話になっているし、芸術工学部にとっても重要な存在だったので、残念ではある。が、教わったことを糧に、この先へ進みたい。
ここに、僕が大学院の時に制作した作品をアップする。森島先生のビジュアルデザイン特論の授業での課題作品の一つである。

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「黄金比」とは、1 : (1+√5)/2(近似値1:1.618)という比である。古代から知られる、最も美しいとされる比で、植物や動物、人体といった自然の造形の中や、様々な美術作品から建築物までにみられる比である。この比、つまりプロポーションは、数学的に、幾何学的に、非常にきれいな構造をもっている。
 この黄金比をテーマに立体造形をせよ、という小さな課題だった。
(以下、2006年6月の制作時の文章を掲載。)

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「自然のかたち/黄金比とアニミズム」

 人間は「自然」を調査研究し、科学を進歩させてきた。「黄金比」も自然の原理を研究することで、知ることができたものである。これはたしかに美に対する大きな発見ではある。そして、人間のこういった発見と発明の歴史が、文明を生み出してきたといえるだろう。
 だが、このような自然と科学に対する考えを持ちながらこの先へ進んでいくことが、本当に豊かな未来へつながるのだろうか?自然と人間の関係は、本当にこのままでよいのだろうか?


 古代の日本人は、森羅万象を神として、自然への畏敬を尊重してきた。山に、木に、風に、火に、水に、石に、自分を生かす力を感じとり、「祈り」を通して自然を尊重した。このような「自然」に対する考えは、西洋のように自然を征服していく思想とは異なる。人間と自然がうまく調和していた。


 この立体造形は、日本で古くから用いられている「紙垂」をモチーフとした。現在でも神社などで目にする「紙垂」は、豊かに稔った稲穂のかたちを意味し、五穀豊穣を願う自然への「祈り」を表すものである。生きることの原点は、食べることにあるとすれば、作物の豊穣を願うための紙垂のかたちは、人の「造形」としては、すごく純粋で原始的なものである。



 そのような紙垂の形態を「黄金比」を通して造形した。構成する各一片の形、スケールの変化の比、そして全体の形態までが黄金比となるように構成してある。

 この造形は、自然を見つめ直すための、印(Sign)である。
「自然」の原理原則である黄金比によって「かたち」をつくる。そして今度はそれを、自然の中へ戻してやる。原っぱに、水辺に、森の中に、そっと置いてみる。
西洋から学んだ自然原理と、東洋としての日本が古来から大切にしてきた自然への祈り。
 この「印(Sign)」から、自然と人間の関係をもう一度考え直し、黄金比のような「普遍」を目指した時代の、その先を見つめたい。

(以上、課題作品集『Golden Ratio』より、一部加筆修正。)



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 この作品を通して、一つすごく印象的だった瞬間がある。
僕は、造形物の写真を、スタジオではなく外で撮影した。草、石、水など、様々な場所に置いて撮影した。

ある晴れた日、草っぱらの上に置き、写真を撮っていたときのこと。

 ふわっと風が吹きぬけた瞬間・・・

 まだきちんと接着していなかった立体造形が、ハラリと風で舞い散って、白い片々が草っぱらに散らばった。

 言葉で書けば、それだけのことである。しかし、その一瞬の光景は、本当に美しかった。その時は美しいという言葉すら浮かばなかったが、ハッとする強烈な映像だった。
一瞬でありながら、音のないスローモーションを見るような光景だった。


 それ以後、組み立て直すことはしていない。
あの、サクラが舞い散っていくような光景を最後に、この作品は現存していない。

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2009年3月